諦めたからこそ諦められない夢を諦めるために走る
1. はじめに
「あのとき、〇〇しておけばよかった…」
「もし、諦めていなければ…」
「どうして、頑張れなかったんだろう…」
あなたにも、何年経っても忘れられない後悔はありませんか?
僕にもあります。
僕は掴みかけた夢を1度諦めました。
「どうせまたチャンスはあるだろう」
軽い気持ちで諦めた夢がこんなにも
自分を苦しめることになるとは知らずに…
今僕にとっての夢は、苦しみです。
諦めてしまったからこそ諦められない呪縛となりました。
時が経つにつれて、どんどん後悔が増してくるのです。
だから
諦めたからこそ諦められない夢を諦めたい
のです。
「今やらなきゃずっと苦しいままだ…」
「でもなかなか挑戦できない…」
「早く後悔から解放されたいのに…」
そんなうじうじした自分に
一歩踏み出すきっかけをくれたのは
寿命間近の大キライな父でした…
2. 自己紹介
はじめましての方もいらっしゃると思うので
簡単に自己紹介します。
神前洋紀(かみまえひろき)と申します。
自然豊かな町(大田舎)で生まれ育ちました。
スポーツが得意で、走るのが大好きな少年。
憧れの教師という職業に就き、離島に学校をつくりました。
自分でいうのもなんですが、自分の人生には比較的満足しています。
現在は教育を軸に
僕にかかわる人の人生が少しでも
幸せになるようにと願って活動をしています。
・親子オンラインスクールcocowith
・オンラインフリースクールNo name school
・オンラインサロンNo name family
・「密にならないクラスあそび120」Amazonランキング1位獲得
その他、小学校の非常勤講師や研修講師、講演活動も行っています。
周りの人たちからはよく、こう言われます。
「行動力あるよね」
「自分のやりたいことやっててすごいね」
「努力家だね」
しかし
堂々と首を縦に振れない自分がいます。
なぜなら僕は
本当の夢からずっと逃げてきたからです。
「もう諦めたら?」
何百回と自分で自分に言い聞かせました。
でも諦めることができず時は経ち
とうとう30歳になります。
そんなとき父が
声なき声で問いかけてきたのです。
「今やらないでいつやるんだ?」
「それで後悔しないのか?」
3. 僕の夢
僕の夢は、鹿児島の「箱根駅伝」
通称「県下一周駅伝」出場です。
→ 動画はこちら(スタート)
→ 動画はこちら(故郷「川辺チーム」優勝ゴール)
中学生の頃から15年間
ずっと追いかけてきた夢なのです。
しかし
怪我や故障等もあり出場のチャンスを逃してきました。
故郷川辺チームの優勝胴上げも、心の底から喜べず
輪の外で眺めることしかできませんでした。
それでも
「どうせまたチャンスはあるだろう…」
と思い、気付けば早10年。
僕はもう
夢を追うことを諦めかけていたのです。
「今やらないと一生後悔する…」
そのきっかけを与えてくれたのが
寿命間近の大キライな父だったのです。
4. 大キライな父
ここで少し、僕の父の話をします。
僕は父が大キライです。
THE昭和!
亭主関白の鏡のような存在だったからです。
仕事ばかりで、家事も全くしない。
食事の後の食器は自分で片づけないし
食事中にタバコは吸うし
電子レンジや洗濯機の使い方も知らない。
あぐらをかいて、母をこき使う最低な父親でした。
だから普段会話もろくにしないし
「絶対こんな父親にはなりたくない!」と
心に誓っていました。
しかし仕事一筋の父も
僕が走るときだけは応援に来てくれました。
高校生までは、試合の送迎も毎回してくれました。
市の駅伝大会(右から2人目が中3の僕)
運動会、持久走大会、駅伝、僕が走るとなると
仕事を休んでいつも駆けつけていました。
キライな父でも、これに関してはとても感謝しています。
そう、僕たち親子にとって「走る」は
唯一つながれるものなのです。
ところが父は、退職後激変します。
ここ1・2年で別人になりました。
亭主関白の威厳が陰をひそめるように
一気に元気がなくなったのです。
そして、脳梗塞発症や両足の壊死など
1人では歩けなくなり車椅子の入院生活です。
手術する体力すら残されておらず
認知症で記憶もあまりありません。
まだ僕のことはギリギリ覚えてはいますが
もうほとんど喋ることはできません。
病室の天井を
ただただ見上げるだけの生活になってしまいました。
父は今、刻々と死へ向かっています。
そしてふと思うのです。
父は
「本当にやりたいことをできていたのだろうか?」
「人生に満足しているのか?」
「死んでも後悔はないのだろうか?」
もしかしたら
「本当は叶えたい夢ややりたいことがあったのではないか…」
「不器用ながらに家族のために自分を犠牲にしていたのかもしれない…」
「仕事は全うしたけど、息子は大黒柱になれるか心配…」
そんなことを考えているのかもしれない
と思うようになりました。
寡黙な父は
僕が教師になったことを誰よりも喜んでいました。
しかし
教師を退職し起業する話をすると猛反対しました。
「保守的な分からず屋だな」
当時はそれくらいにしか思いませんでした。
でも今思うと、
僕を心配してくれたのかもしれません。
というのも、「大丈夫か?」と一言だけ
電話をかけてくることがあったからです。
5. もし寿命があと1年だったら…?
僕の「今」は傍からみると
順風満帆の人生のように見えるかもしれません。
離島に学校をつくり
独立起業するなど理想の教育実現に向かっている。
出版すればAmazon1位になり
新聞社やメディアに報道されるなど。
オンラインサロンには
僕が進もうとしている道を応援してくれる仲間もいる。
たしかにここ1・2年の自分は
自分でも想像できない未来が次々と叶えられています。
だから、充実としていないと言ったら噓になるし
とても楽しくて、ワクワクしています。
ところがどうしても
心につっかえるものがあるのです。
「もしあと1年しか寿命がなかったら…?」
「本当にやりたいことは何なの?」
自分の心に問いかけると
いつも真っ先に思い浮かぶのは
15年間ずっと言い続けてきた
「県下一周駅伝」なのです。
僕は人生の半分を、走ることに費やしてきました。
ところが社会人になってからの自分は
走ることに対して、口だけで中途半端でした。
「精一杯目標に向かって努力しているか?」
「本気で夢を叶えようとしているか?」
「挑戦しないと後悔するんじゃないか?」
もしかしたら父は
寿命を削ってまで息子に
「覚悟を決めろ」
と言っているのではないか。
生きている間に
僕の走る姿を見たいのではないか。
もう自分では動かすことのできない身体と
自分の寿命を引き換えに
「お前は走れ!」
と言っていると思いました。
父の記憶に
僕の走る姿を刻めるのはもう今しかない。
大キライな父にできる最後の親孝行はこれだ!
と確信しました。
だから僕は決めました。
県下一周駅伝を走ると。
僕たち親子にとって「走る」は
唯一つながれるものだから。
僕らにはもう、時間がありません。
諦めたくても諦められなかった夢を追いかけて走る
僕たち親子の二人三脚でもあるのです。
「父の記憶に僕の生きた証を残したい」
その覚悟で30歳からの再挑戦をスタートしました。
6. あなたに僕を走らせてほしい
しかし僕は思った以上に
そんなに強い人間ではありません。
「朝練眠いな、今日は休もうかな…」
「今日の20km走は、15kmで止めちゃおうかな…」
「キツイな、スピード落とそうかな…」
「弱い自分」が出てきてしまい
トレーニングをサボりたくなってしまいます。
だからこうやって
書くことによって後戻りできないようにしています。
「こんなこと堂々と言うなよ、覚悟決めたんでしょ?」
「自分が決めたんだから、頑張れよ」
そう言われたらもう
「はい、そうです」としか言えないのですが
弱音を吐かせてください。
「1人はツラいです」
今までは部活でチームのために
仲間のために頑張ってきました。
大学のチームメイト
仲間がいたから
きついトレーニングも乗り越えてこれました。
1人じゃ頑張れない自分は
本当どうしようもないというか
カッコ悪いなと恥ずかしい限りです。
でも、いやだからこそあなたに
僕を、応援してほしいと思っています。
僕と父と一緒に
夢に向かって走る仲間になってくれませんか?
弱くてどうしようもない僕の背中を
ほんの少しだけでも押してくれませんか?
こんな僕を
あなたの力で走らせてほしいのです。
7. もう走るの、やめたら?
そして実は、僕の足も強くはありません。
僕の左足のかかとは人工骨が入っています。
小学生の頃に、病気による切断覚悟の足の手術をしました。
幸い手術はうまくいきましたが
走るどころか歩き方すらも忘れてしまった時期があります。
懸命なリハビリにより、走ることはできるようになりました。
しかしみなさんが普通にできるであろう
アキレス腱伸ばしができなかったり、両足のサイズが違ったりと
後遺症は残っています。
身体のバランスが整いにくいため
足腰に過度な負担がかかってしまいます。
そのせいか、腰は分離症による骨折も抱えています。
「もう走るの、やめたら?」
母にも何回も言われてきました。
それでも走り続ける僕を
親はずっと応援してくれました。
学生のころまでは
親に治療費を負担してもらっていました。
走ることができたのは
夢を追うことができていたのは
親の力がとても大きかったです。
改めて、親には感謝しかありません。
8. 何が今を諦めさせるのか?
しかし、病気やお金が原因で
夢や今やりたいことを諦めてしまう人も
多いのではないでしょうか?
僕も例外ではありません。
高校や大学では、こう思っていました。
「走る」を極めたい!
強豪校からの推薦もあったので
チャレンジしようと思えばできました。
チャンスは約束されていたのです。
しかし
ランナーとしての成功は約束されていません。
だから諦めて、進学先を変えました。
「勉強さえしていればなんとかなる」
「安定した職につけば将来困らない」
誰に指図されたわけでもありません。
ただただ自分でチャンスを捨てたのです。
ここでも僕は、夢を諦めていたのです。
9. 今を諦めないでいい社会
でもどうでしょうか?
僕の身の回りにこう言ってくれる人がいたら。
「勉強も部活も両立できるよ」
「勉強なんて後からいつでもできるよ」
「今しかできないことに挑戦してみたら?」
「その挑戦こそが将来に役立つよ」
「仕事なんていっぱいあるよ?」
「安定だけがすべてじゃないよ」
「お金のことも今から一緒に学ぼうよ」
「お金は子どもでも稼げるから」
僕は間違いなく夢に一直線に走ったと思います。
でもたられば言ってもしかたないし
夢を諦めた過去があるからこその今がある
とも思っています。
しかし思うのです。
「今を諦めて後悔する人が減ってほしい!」
「今しかできないことに挑戦してほしい!」
「やりたいことは思う存分やり切ってほしい!」
僕のような後悔をしてほしくないのです。
思いこみや情報不足、周りの環境によって
可能性が閉ざされる社会を終わりにしたいのです。
これこそ僕たち大人の使命。
教育なのではないかと思うのです。
僕は
夢に向かって全力で挑戦できる社会をつくりたい
のです。
「今を諦めないでいい社会を目指す」
という大きな目標に近付くために
まずは自分が背中で見せる必要があると思うのです。
だから僕は走ります。
県下一周駅伝に出場します。
達成したその先に何があるか分かりません。
光が待っているかもしれないし、闇に包まれるかもしれません。
燃え尽きてしまって、すべてを投げ出したくなるかもしれません。
でもやってみないと、その景色は見えないのです。
未来はどうなるかわかりません。
でも僕の心が叫んでいるのです。
その魂の声に従ってみたいのです。
論理で計算されない未来を見てみたいのです。
でも確かなことは
今やらねば確実に後悔するということ。
やらない後悔よりやった後悔の方がマシです。
「あのとき、〇〇しておけばよかった…」
「もし、諦めていなければ…」
「どうして、頑張れなかったんだろう…」
こんな自分とはもう、さよならしたいのです。
自分の人生に、自分自身に
大きなはなまるをあげたいです。
そして自信をもって、言いたいのです。
「今やりたいならやればいいよ」
今年度以降は
そういった仕組みづくりに着手していきます。
「今を諦めない人を増やす」
これが僕の使命です。
そのためにまず僕が
諦めたから諦められない夢を諦めるために走る
必要があるのです。
口だけではなく、背中で見せたいのです。
10. さいごに
僕が目指す理想の社会、教育は
1人では実現できません。
あなたの応援がとても大きな力になります。
もし僕を応援したいと思った方は
応援していただけるとうれしいです!
1人ひとりの応援の力が
僕の目指す理想の社会、教育につながります。
みんなで
思いこみや情報不足、周りの環境によって
可能性が閉ざされる社会を終わりにしませんか?
「今を諦めないでいい社会」を目指しませんか?
<応援したい方はこちら>
→ Googleフォームに飛びます
ざるさんいつもありがとう!!!!
俺もほぼ毎日ランニングしてます!
いつも一人で走ってますが、
これからは、遠く鹿児島を意識しながら走ります!
がんばれーーー!!!!