30歳を迎えた僕の人生は「」No name

<本記事の内容>

① はじめに
② 本文

(1) 25歳(教員3年目)
(2) 26歳(教員4年目)
(3) 27歳(教員5年目)
(4) 28歳(学校づくり)
(5) 29歳(独立起業)
(6) 30~34歳(?)

③ さいごに

 

① はじめに

本日誕生日を迎え、30歳になりました。
そこで
ただただ徒然なるままに、僕の激動の5年間を振り返ります。

「人はこうも変われるのね!」
自分が1番驚いています。

だからなんとなく、
この5年を書き留めておきたい!という欲求と
誰かとこの想いを共有できたら…という淡い期待を抱き
PCをカタカタさせています。

しかし完全なる自己満なので、有益ではないと思います。

でももしかしたら
こんな人のお役に立てるかもしれません。

・学校教育に違和感がある
・教師からの転職を考えている
・理想の教育を実現したい
・やりたいことはあるけど、1歩踏み出せない
・自由な働き方をしたい

僕がなぜ教師を辞め、何を実現しようとしているのか?
そんなことが気になる方は
このままお付き合いください。

その前に、僕の自己紹介を挟みます。
(知っている方は ②本文 に飛んでください)

本記事を書いている僕は、このような人間です。

・親子オンラインスクール「cocowith共同代表
・教育オンラインサロンオーナー「No name school」・「No name family(紹介制)」

「密にならないクラスあそび120」を出版(Amazon教育書ランキング2部門で1位を獲得)

その他、小学校の非常勤講師(初任研担当)や研修講師、講演活動も行っています。
そして5年間の教員生活で、以下のような実績もあります。

・文科省指定教育課程特例校勤務(2014~18年)
・地区教育論文最優秀賞(道徳)
・県、地区代表研究発表(算数・外国語)
・市研究会常任理事(算数)
・原稿執筆(フォレスタネットvol.3「5年生算数『割合』」)

さらにクラスでは、数々の実践を行なってきました。

・クラス会議(赤坂真二先生)
・成長ノート、価値語、褒め言葉のシャワー、会社活動(菊池省三先生)
・『学び合い』(西川純先生)
・振り返りジャーナル、教室リフォーム(岩瀬直樹先生)
・教室内通貨(沼田晶弘先生)
・学びの個別化、協同化、プロジェクト化(苫野一徳先生)
・徹底反復、集中速習(隂山英男先生)
・けテぶれ学習法(葛原祥太先生)
・流動型『学び合い』(高橋尚幸先生)

SNSで見られる大体の実践の経験はありますし
ノウハウもお伝えすることができます。

ということで
このような経験を踏まえた振り返り記事を書いていきます。

② 本文

(1)25歳

先生時代はここで終わった
と言っても過言ではありません。
先生を辞めようと思い出したのがこの時期です。
 
それと同時に、学校の先生という仕事の
ドラマチックな理想を全うした1年でもありました。
 
ただひたすらに
子どもたちのため、自分のために
そう思って頑張れた最後の1年でした。
 
僕は最初で最後の卒業生を送り出したわけですが
自分も先生から卒業したのが25歳です。
 
ここからは
「教育を変えたい!」という強い想いをもち
大きな魔物と戦いに行くことになります。
 
教員1年目はブラックすぎて辞めたくて
教員2年目は先生としての自分を取り戻し
教員3年目はずっと先生としてやっていけるな!
 
そう思っていました。
 
ところが自分に余裕が出てくると
周りも少しずつ見えてきて
学校というシステムのいろいろな問題も
目に付くようになりました。
「本当に子どもたちのため?」
「子どもを教師の承認欲求の道具にしてないか?」
 
具体的には
・一律一斉の授業の限界
・不登校支援
・家庭の貧困、教育格差
・降り注ぐ校務分掌
・形骸化した研究授業と職員研修
 
などなど、挙げればキリがないのですが…
 
1教員として1教室だけ1学校だけでは
どうにもならない問題とぶつかりました。
 
そしてそんな問題に目を背けることもできず
奔走しながらあれやこれやと策を打ちつつ
なんとか理想の教育を追い続けようともがいてきました。
 
今振り返ると時間も忘れるくらい
教育に没頭していたので
もう燃え尽きてしまったのかもしれません。
こりゃ、30年続けるのは無理だな…
と思うようになりました。
 
そして26歳(教員4年目)は
葛藤しかない闇の1年になりました。
 

(2)26歳(4年目)

組織に染まりつつ、染まらない
周囲との調和を取りつつも、自分の色を出したい!
そんな葛藤と戦った1年でした。
 
「これって、何のためにやってるの?」
自分にも子どもたちにも、同僚にも問いかけ続けました。
 
いろいろ試しました。
学級崩壊後のクラスの立て直し方は見えたので
どうやったら崩壊するんだろう?
再復活するにはどうすればいいんだろう?
 
そんな実験を子どもたちとやったこともあります。
 
というのも
僕の勤務校は毎年学級崩壊が起こり
病休の先生が毎年出ていたからです。
 
先生のアタリはずれを
子どもたちが見定めるシビアな現場でした。
「そこはプロなのだから、乗り越えないといけない」
と言われたら、もうそうでしかないですが。
 
でも子どもたちに問うてみたのです。
「きみたちはいつまで先生に頼って生きるのか?」
「自分たちで理想の教室をつくれるんじゃないの?」
「本当は自分たちでやりたいのにできないから先生のせいにしてるだけじゃないの?」
 
とことん子どもたちと共に、教育について考え
実践した1年でした。
 
でもやはり、
学校だけではどうにもならない課題は
相変わらず多くありました。
そして僕は、初任校を異動するわけですが、
2校目まで見てから
辞める決断を下そうと思いました。
1校だけで判断するのは
もったいないと思ったからです。
公立の可能性を、希望を信じたかったのです。
いやもしかすると
学校の先生を選んだ自分を
否定したくなかったのかもしれません。
自分の選択は間違っていなかった
そう肯定したかったのかもしれません。

(3)27歳(5年目)

辞める覚悟で後悔のない1年を送ろう!
何のしがらみにも屈しない!
そんな心意気でした。
 
この1年は、「自立」を意識した取組を徹底しました。
例えば、宿題や授業の進度も、
子どもたち1人ひとりが自分で決めて進めるスタイルにしました。
(もちろん、学び方や話合い方は教えます。)
 
というのも、子どもたちに本当に力がつけば、
先生や親など大人に操作されない生き方ができると思ったからです。
 
でもやはり
そんなにうまくいくことばかりではありませんでした。
 
はっきり言って
過去の経験則だけに頼る、過保護すぎる
という毒大人予備軍が多いです。
時代は変わっているのに
現状に合っていないにもかかわらず
昔の価値観だけを押し付けるしかできない。

だから僕も含めて大人は、
子どもの未来を思うのであれば
学びをやめてはいけないと思っていました。
 
長い目で見れば
もっとじっくり同僚と話し合って進めることもできたのでしょうが
完全に1人で突っ走りました。
もちろん、その取組に興味を示してくれる先生もいましたが
良く思わない(理解できない)先生もいたでしょう。
ここは自分の若さ、至らなさだったと思います。
 
しかし子どもたちと僕にとってはこの1年しかないのです。
揃える、揃えると言ってる場合ではないのです。
もちろん、揃えるべきことはあります。
 
でもあまりにも、
「本当に子どもたちのため?」に疑問符がつく
スタンダード(ルール)が多すぎました。
 
しかしながらいつしか、
学校はそういうところだと納得する自分もいました。
そうか、自分が学校の先生になったのが悪かったのだと。
薄々気付いていたんですが僕は
教師になりたかったのではなく、教育がしたかったのです。
そんな自分が、学校を選んだのがダメだったのです。
理想の教育があるなら、よそ(学校外)でやればいい。
自分で新しい場所をつくってしまえばいい。
 
自分の気持ちにウソをつきながら働くのは
子どもたちのためにも自分のためにもならない
と思うようになりました。
 
だから学校が悪いのではなく、学校を選んだ自分が悪い
ただ自分は学校に合わなかっただけだと思うようになりました。
 
そう思えるようになったのは、Twitterの先生方の発信が大きかったです。
特に、watcha東京というTwitter発のイベントは

自分の人生のターニングポイントになりました。

今やTwitterインフルエンサーになっている人たちばかりですが
さる先生葛原先生ドラゴンボールの人など…)
当時はいわゆる何でもない普通の先生たち
という肩書きなのに
自分の想いを堂々と語っている姿が
まぶしくてまぶしくて。
あんなふうになりたい!
でも僕がやりたいのは先生ではないから
別の”calling”(さる先生訳「天職」)を探せ!
僕の”魂”(葛原先生訳「心の声」)が叫んでいたのです!
 
迷いは1ミリもなくなりました。
薄暗いモヤがパッと晴れたのです。
ここから
先生を辞めようと決断し
違う仕事を探し始めました。
 
いろいろ候補はあったのですが
地下智隆(ちかちゃん)という
行動力モンスターとの出会いがきっかけで
理想の教育を自由に実現できて
1番おもしろそうな学校づくりを
スタートすることにしました。
 
そして僕は、鹿児島の離島に
フリースクールの立ち上げをすることになります。

(4)28歳

退職日同日、鹿児島から船で揺られること18時間。
沖永良部島にやってきました。

こんな学校をつくる!!!
と意気込んで燃えていました。

当時のブログから抜粋してきました。↓

教科書の内容だけで、 この社会を生き抜いていけるのだろうか?
夢や希望をもてるように、学べているのだろうか?
今このときを楽しんでいるのだろうか?

No!!と思った人たちに集まってほしい。

今の学校は、あまりにも「コンテンツ」重視すぎる。余白がない。
もっと、目に見えないところも大切にしてもいいんじゃないか?

ただぼくは、今の学校を全否定するつもりはない。
学校はいいところは残しつつ、アップデートしていけばいいと思っている。

そして、最終的には、
公教育の質的転換が図られていくことを望んでいる。
そのためにぼくは、学校を作る。

そこで、学校で大切にしていくことは、これ。

学びたい内容を学びたいときに学びたい場所で学ぶ

子どもたちがワクワクすることや楽しいと思うことを
とことん追求できる環境を整えてあげたい。

今を大切にできない人は、未来も大切にできないから。

今このときをとことん追求できる、
没頭できるようにしてあげたい。

すごく特別な学校を作るつもりはありません。
公教育の質的転換のためのモデルを作るのです。

詳しく知りたい方はこちら

→ 長友ドリーム「幸せとワクワクを実感できる学校を

理想の教育ができる!

ワクワクが止まりませんでした。
残業なんてお構いなく
睡眠時間も削ってとことん働きました。

実に豊かでした。
無駄な時間なんてなくて
すべてを思うように使える。

しかも1人ではなく、心強い仲間がいる。

こんなにいい環境はない!
地域密着型で自然も豊か。
お金にも困らない。
素直な子どもたちにも囲まれている。

小さく狭く始めて、モデルをつくれば
公教育の質的転換はイケる!と

とんとん拍子で
あっという間に開校までこぎつけました。
学校づくりって簡単やなって思えました。

しかし、難しい問題がいくつかありました。

まずは
フリースクールや不登校関連で争点となる
「出席扱い」です。

教育機会確保法を読めば、
校長判断で出席扱いにできると書いてあります。

しかし
条件を満たしているにもかかわらず
教育委員会や学校との連携が
なかなかうまく進まなかったのです。

これは今も鹿児島県では
ほとんど進んでいない闇問題です。

やっとここ最近、理解ある校長と出会い
少し光が見えてきたところです。

教育委員会や学校との連携で学んだのは
「正論がそのまま通るわけではない」
ということです。

教員時代の一個人の感情なんてちっぽけなもので
もっと広い利害関係が存在することを知りました。

詳しくは書けないのですが、
僕らの知らない世界で物事は動いています。

世界は狭くて広い
何を言うかではなく誰が言うか
結局はカネか

教員時代には知ることも
考えることもなかった世界がありました。

僕は「教員は世間知らず」の模範例でした。

加えて
離島には圧倒的な「格差」がありました。
金銭面以上に、情報、教育の貧困が目立ちました。

これも学校だけではどうにもならないことでした。
ここに居続けたらまた教員時代の繰り返しになる…

もう完全に独立して
本当に0から全部自分でやってやろう!

そう覚悟を決めて
教育プラットフォーム「」No name schoolを起業しました。

(5)29歳

貯金は普通にあったのですが
お金をつくる、回すということをやりたかったので
貯金の切り崩しは最低限にして
クラウドファンディングに挑戦しました。

結果からいうと、一般的には
クラウドファンディングは失敗しました。
しかし僕の中では大成功だったと思います。

たしかに目標金額は集まりませんでしたが
それ以上に応援してくれる仲間がいっぱいいたからです。

そこから10回以上
クラウドファンディングに挑戦しましたが
毎回毎回応援してくれる仲間がいました。

こんな人たちと学校作れたらおもろいなと思ってもいますが
オンラインサロン最強説を実証していこうと決めていました。
それが今のNo name です。

カタチなんてどうでもいいんですよね、カタチなんて。

オンラインサロンは「想い」でつながる仲間が集います。
場所はなくても仕事は違っても会ったことなくても
たしかにそこに「つながり」がありました。

実はプレッシャーや働き過ぎで
1週間ほど寝こんでしまった日もありました。

そんなときでも、応援してくれる仲間がいて
なんとか頑張らなきゃ!と思う反面
こりゃ自分がやらなくても誰かがやってくれるな
と心の荷がスッとなくなった気がしました。

僕に足りなかったのは
どんな自分でありたいか?
ということです。

「どんな教育を実現したいか?」
「どんな社会をつくりたいか?」

そんな自分以外のことばかりに目がいって
自分と向き合うことから逃げていたように思います。

働くということは
自分の幸せを実現するための手段の1つです。

しかし僕は肝心のゴール
自分の幸せが何か?」すら見失っていたのです。

そうかそうか僕は
「想い」を共有できている人たちと
一緒にいたいのかもしれないと
今は思っています。

そういう仲間たちと
ただひたすらに「想い」を紡いでいきたいのです。
そして、ストーリーを楽しみたいのだと思います。

だからこれからの自分に自分が1番期待しているし、自分が動けば何かが生まれるという過大評価をしています。(笑)
それもこれも、このサロンメンバー含め、クラファンやファミリーのメンバーのおかげです。
何かやればおもしろがってくれる人がいることは、自分のエネルギーになっています。
根拠のない過剰すぎる自己肯定感が育まれたのです。(笑)

もしかすると5年後は変わっているかもしれないですが。

でも少し根拠はあります。
だから教室は好きだったのだと思います。
1授業、1日を共有している仲間と1年間のドラマをつくることができたから。
でも別に学校でなくてもいいのです。
子どもにこだわりがあるわけでもないし
難しい横文字の〇〇力とかカタカナ用語とか
どうでもいいんですよね、ぶっちゃけ。
生きてて楽しい!
自分ってなんかええやん!
自分が満足できれば何でもいいと思うのです。
まずは自分が満たされていなければ
自分以外の誰かを満たすことはできない
と思うからです。
自信満々で堂々としてなくてもいいのです。
自分なりのしあわせを大切にしていけばいいと思うのです。
大きかろうが小さかろうが関係ありません。
そう思える場や環境を調整していくのが、教育かなと。
そうなると、
子供たちにとっては我々大人も人的資源として
今を楽しむ姿を見せていくことが大切だと思います。
だから僕は、なんかわからんけど楽しいね!
そんな場をこれからも提供していきたいと思ってます。
カタチなんてどうでもいい、名前なんてどうでもいい。
だから、No name なんですね。
このなんとも言い難いものに、名前をつけたくなる日がくるのかな?
そんなことを楽しみに生きたいと思います。
いろいろ迷ったけどシンプルでした。
「好きな人と好きなことをしていたい」
それが僕の幸せでした。
そんな単純なことに気付くのに20数年を費やしました。
これからも自分の心の声に正直に
周りの人をしなやかに受け入れ
自分も自分の大切な人も守れる人間でありたいです。

(6)30~34歳

30歳でやりたいことは3つあります。

① 親子オンラインスクールcocowithの発展
② 政治×教育
③ 県下一周駅伝出場

正直、この1年をやり切ってみないとこの先は分かりません。
大まかな方向性は見えているのですが(今後発信していきます)
細かいところはその時のベストを選択することになりそうです。

とりあえず、順番に紹介していきます。

①「親子オンラインスクールcocowith」

「答えのない問いに向き合う力を」

これは僕が教員時代5年間で追究していたことです。
正解のない人生を、自分らしく納得のいく形で歩んでほしかったからです。
どの教科においても、単元の中に位置付けていました。

でも、子どもたちにいくらその力がついてきたとしても
それを大人が台無しにしてしまうことがあります。

・あなたにできるの?
・諦めた方がいいよ
・どうせ無理でしょ

口にしていなかったとしても、
子どもたちは大人の姿をみて、感じ取ってしまいます。

「やりたいようにやればいい」
「好きなことで生きていく」
口では誰でも簡単に言えます。

大人がチャレンジせずに、子どもたちはチャレンジしようと思うでしょうか?
大人が楽しく働いている姿を見せること、僕らが人生を楽しんでいる姿を見せること。

それが最大の「教育」だと思っています。

親子オンラインスクールcocowithは、大人も子どもも関係ありません。
年齢や立場は関係なく1人ひとりが一個人として、
答えのない問いに対して向き合い、対話を繰り返します。

そうやって対話を繰り返した仲間は、想いでつながることができます。
これからは、年齢や立場、仕事ではなく「想い」でつながる時代です。
想いがつながった仲間は、一生の財産になります。
そんな仲間をいっぱい増やしたいと思っております。

共感してくださった方はぜひ、
親子オンラインスクールcocowith及び神前の応援をよろしくお願いいたします。

ちなみに本日2期生申込締切です!
今変わらないでいつ変わるの?
そんなチャンスをものにしたい方は
一歩踏み出してみてください。

→ 親子オンラインスクール「cocowith」(HP)

 

② 政治×教育

離島で学校づくりをするまでは全く興味もありませんでした。
「政治なんて自分には関係ない」
「誰がやっても一緒でしょ」

だから僕は、選挙に行ったこともありません。

「は、お前選挙行ってないのに偉そうなこと言うなよ」
って言われたら、「はいそうです、ごめんなさい」
って感じです。

でも今は違います。
議会の情報は積極的にチェックしたり
市議さんと一緒に学校訪問に行ったりもしています。

そしてそんな僕だったからこそ
政治に興味のない人たちの気持ちが分かるとも思います。

何かを成し遂げたい!というより
「何かが変わるのを待っていたらいつまでも変わらないよ」
「行動すれば人生変えれるよ」
「自分の人生は誰のものでもなく自分のものだよ」

自分以外の何かのせいにしていた僕のような人を
減らしていきたいと思っています。

とはいっても、社会のルールを作っているのは政治です。
例えば、学校でみんなに何を教えるか
働く人たちをどんな法律で守るか
そういった事は全て政治の場で決められています。

政治は生活の多くの出来事に深く関係しています。
政治を学べばもっと、世界を楽しめるのではないかと。

政治を作るのはみんなの声です。
自分たちの生活をより良いものにしたいと思ったら
時には声を上げることも大切です。

しかし声を上げづらい人もいますよね。
一生懸命声を上げても無駄と思う人もいるかもしれませんね。

だけど誰かが動かないと変わらないし
そこをなんとかするのが政治家です。

そして政治はなんとも分かりにくい。
難しすぎる。自分にとって遠い存在のようです。

だから僕は
政治を身近に楽しくカジュアルにしたい。

政治をきっかけに「想い」でつながる仲間と
ストーリーをつくって楽しみたいと思ってます。

そして少しでも
自分で自分を満たせる人
「自分ってええやん!」
「生きてて楽しい!」

自分の幸せを大切にできる人が
増えていけばいいなと思ってます。

 

③ 県下一周駅伝出場

「教育関係ないやん」
まあ、そう言われたらそうです。

でも僕にとっては大事なことなのです。
県下一周駅伝は、鹿児島県の「箱根駅伝」です。

僕が中学生のころから追い続けてきた夢なのです。
教師になってから諦めてかけていた夢を
この節目にもう一度チャレンジしています。

持病や呪縛を抱えながらの夢なので
「諦めたからこそ諦めたい夢を諦めるために」走ります。

詳しくはこちらをお読みください。
→ 「【諦めたからこそ諦められない夢を諦めるために走る

とにかく僕は、県下一周駅伝に出場しないことには
100%前に進めないし、一生後悔するのです。

だから必ず実現してみせます。

 

③ さいごに

最後までお読みいただきありがとうございました。
ここには書ききれないこともいっぱいありましたので
また更新していきたいと思います。

お時間あるときにお付き合いいただけたらうれしいです。
今後ともよろしくお願いいたします。

そして最後に、お知らせなのですが
公式LINEを近々リリースしようと思っております。

というのも、
各種SNS等で相談のDMが届くのですが
学級経営や子育ての相談から転職まで
幅広く同じような相談が結構多いのです。

僕の時間も限られているため、
何回も同じことを繰り返すより
一気にお答えできればと思っております。

つまり、公式LINEを使って
みなさんからいただいた相談やお悩みについて
まとめてお応えしていこうということです。

そのリリースのお知らせも含めて現在
試行段階として、完全無料のLINEオープンチャットを
開設しております。

もしよろしければ、ご登録ください!

<メルマガ(完全無料)>
手軽に精選された教育情報を!
→ 「教育プラットフォーム『』No name school」(LINEオープンチャット)

 

最後までお読みいただきありがとうございました。
もし、いいな!と思った方は、
各種SNSでのシェアやお知り合いへの紹介に
ご協力いただけますと幸いです。

それではまたお会いしましょう!

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